2011年11月15日火曜日

第三弾: 観音寺市教育委員会への公開質問状 その1


平成231111

観音寺市教育委員会 御中



教育長 殿

教育委員長 殿

教科書採択委員 各位

関係者 各位





貴委員会のお手紙に対する返答と公開質問状



冠省



 貴委員会におかれましては、お忙しい中、平成23824日付のお手紙を下さり、誠にありがとうございました。御礼申し上げます。



 お手紙を拝読させて頂きましたが、残念ながら、貴委員会は私の公開質問状には何もお答へ下さいませんでした。



また、これから以後も質問にお答え下さらないとの由、誠に失望致しました。



 しかしながら、回答を拒否されるにしても、せめて文部科学省や香川県教育委員会の教科書採択に関する通達ぐらいは公開して下さっても宜しいのではありませんか。これらはコピーするだけで、手間もかからないと思いますが。



 もし、それらが非公開文書であるならば、その旨教えて下さい。





 それはさて置き、貴委員会のご返事についてですが、貴委員会が回答拒否の理由として挙げられた事は、失礼ながら、まったく理由に成っていないと思います。



 以下、その理由を説明させて頂きます。





 貴委員会のご返事は、次の通りです。

『(前文略) 前回お送りいただきました「中学教科書の採択についての公開質問状(平成23520日付、531日付)」に対し、観音寺市教育委員会は関係機関と協議を重ね、誠意をもって回答文書を作成し、送付させていただきました。



 しかしながら、貴殿のとった行為は、



  「父兄の皆様へ『教科書は、非公開会議で採択され、議事録も非公開』と題した文書(本教育委員会からの回答文書の写し添付)

  「父兄の皆様へ『子供たちに良い教科書を選んでください(東京書籍と扶桑社の比較)』」と題した文章(A4用紙25枚)

   

を含んだ封筒を、観音寺市内の中学校付近及び運動公園において中学生に手渡すというものでありました。この事は、観音寺市内の中学校と一般市民より報告を受け、現物も送付していただきました。また、中学校からは「不審な内容の封筒を配布している者がいるようだが、学校は知っているのか」と保護者からの電話があったとの報告も受けました。



貴殿の「中学教科書の採択についての公開質問状(平成23520日付及び531日付)」の最終部には、「なお、教科書の採択問題は、非常に大事なことであり、かつ、多くの人々が関心を持っていると思いますので、この公開質問状と共に、貴委員会からのご回答はインターネットのホームページに公開する予定です。その点ご了解のうえ、ご回答を賜りますようお願い致します」とありました。インターネットのホームページに公開する事と、保護者に向けた文書を直接中学生に手渡す事との間には大きな隔たりがあると思います。



 更に、その内容は真摯に教科書採択に取り組んで来た関係者を否定的にとらえたものであり、新しく使用する教科書のみならず、学校教育や教職員に対する不信感が児童生徒や保護者の間に生まれてくるのではないかと危惧しています。



 このような理由により、今回の「中学教科書の採択についての公開質問状(平成23720日付、85日付、820日付)」及び今後送られてくる同様の質問状等に対しまして、本教育委員会は回答を控えさせていただくことに致します』



 以上が貴委員会のご返事ですが、上記において、貴委員会は回答拒否の理由として、私のとった三つの行動を挙げておられます。



1:私が、貴委員会の回答を中学生に配った事



2:私が、それを無断で配った事



3:一緒に配った私の資料が、学校教育や教職員に対する不信感を父兄に持たせるものであった事



理由は、この三点でありましょう。



 しかしながら、これらは回答拒否の理由に成っていないと思います。



なぜ理由に成っていないか、以下、恐縮ながら、反論を申し上げます。







反論1:路上で物を配る事は法律に違反することか



 貴委員会は、『しかしながら、貴殿のとった行為は、』と、さも私が悪い事をしたような書き方をされております。まったく心外であります。





まず、お伺い致します。



私が校門の外で中学生に資料を配った事は法律に違反する事でしょうか。



私は、中学校の校内には入っておりません。校門の外で配りました。





また、私は人様に隠れてコソコソするような事はやっておりません。



観音寺中学校においては、校門に出て来られた教頭先生や他の先生方に、どうぞ、これを読んで下さい、と資料を渡しております。



なんら隠し立てする事はございません。





また、お手紙の中に「不審な内容の封筒を配布している者」と云う言葉が出ておりましたが、私の資料の内容のどこが不審であるか教えて頂きたい。



また、私が不審者であるかのごとき書き方でありますが、私は資料と封筒に自分の名前と住所を書いております。人に分からないように名前を伏せて、陰に隠れて、人の知らぬ間にコソコソする様な卑怯な事はやっておりません。





 貴委員会に申し上げたい。



もし私の行った事が犯罪行為であるならば、どうぞ警察にご連絡下さい。







反論:2 約束を破って、私が貴委員会の回答を配ったか



『「この公開質問状と共に、貴委員会からのご回答はインターネットのホームページに公開する予定です。その点ご了解のうえ、ご回答を賜りますようお願い致します」とありました。インターネットのホームページに公開する事と、保護者に向けた文書を直接中学生に手渡す事との間には大きな隔たりがあると思います。』



 として、中学生に配るとは書いていない、書いていない事をした、とのお叱りであります。



 これに対しても反論させて頂きたい。



まず最初に、公開質問状に対する回答は公開される事が前提であります。



私は、質問状の冒頭に「中学教科書の採択についての公開質問状」と書いて、「公開質問状」である事をはっきりさせております。

また、貴委員会も、お手紙の中で



『貴殿の「中学教科書の採択についての公開質問状(平成23520日付及び531日付)」の最終部には、・・・・』



と書かれ、私の質問状が公開質問状である事を御存じでいらっしゃいます。



貴委員会は、私の質問状が公開質問状であることを御存じであるにもかかわらず、その回答を中学生に配った事はけしからんと言われる。



これはおかしい。



貴委員会は、公開質問状と私信とを混同しておられます。



再度申しますが、公開質問状に対する回答は公開される事が前提であります。







また、書いていない事をした、と非難されるのであれば、私も申し上げたい。



貴委員会も、私への回答に『この回答を中学生や父兄に配るな』とは書かれてはおりませんでした。



書かれていない事を、後から文句を言われても困ります。



貴委員会の言われる事は、理由に成っておりません。







 この事に関しては、さらにもっと根本的で、重要な問題があります。



 貴委員会は、私が回答を中学生に配ったことを非難されておられますが、非難すると云う事は、回答が配られた事が貴委員会にとって都合が悪かった、と云う事になります。



 回答が中学生や父兄に読まれてはまずかったのでしょうか。

もし回答が中学生や父兄に知られてはまずいとするならば、教科書採択に関して、中学生や父兄に隠さなければならない事がある、と云う事になります。



万が一、そういう事があるとすれば、これこそ教育の根本に関わる重大な問題ではないでしょうか。



 なんら疾しい事が無ければ、なぜ貴委員会は私が回答を配ったことを非難されるのでしょうか。



教科書採択に関して、一体、何を隠そうとされるのでしょうか。







 次にインターネットについて申します。



私がインターネットに公開すると言ったのは、中学生の父兄や地元観音寺の方々に公開するのはもちろん、さらにもっと広く全国の人々、大袈裟にいえば世界中のインターネットを利用する人々にも公開すると云う意味で書きました。



もちろん、私の表現が舌足らずで、貴委員会に誤解を与えたと云うのであれば、ここで私の舌足らずをお詫び申し上げます。



しかしながら、何度も申し上げますが、公開質問状の回答は公開が前提であります。それを後になって、公開するな、と言うのはおかしい。





また、貴委員会は



『インターネットのホームページに公開する事と、保護者に向けた文書を直接中学生に手渡す事との間には大きな隔たりがあると思います。』



と述べておられますが、まさにその通りで、「大きな隔たり」があります。



地元の父兄の皆様に配っても、その数は微々たるものです。それに比べて、インターネットは、実にいろいろな所で大勢の人が見ています。

 現に、私の東京書籍に関するブログは、教育関係者や政治家の方々を始め、全国から、かなりの反応を頂きました。証拠を出せと言われれば、いつでも紹介致します。



 近所の青年からも、「おっちゃんのブログ、全部読んだよ」と声をかけられました。「君、長いのに、あれを全部読んだのか」と尋ねると、「読みやすかったから全部読んだよ。おっちゃん、頑張っとるんやな」と言ってくれました。



 また、海外からも反響がありました。



 アメリカに住んでいる方が、私のブログの南京大虐殺事件に関する東京書籍との公開質問状の遣り取りを見て、自身のブログに感想を書いています。地球の裏側でも見ている人がいるのです。



下記がアメリカ在住の方のブログ・アドレスです。今でも見えると思います。

ご参考までに、申し添えておきます。










反論3:教科書の誤りを中学生や父兄に知らせる事は悪い事なのか



私は、教科書に誤りがあれば、それを中学生や父兄に知らせる事は当然のことであり、むしろ日本人としての義務であると考えております。



教科書の誤りは教育の根本にかかわる重大問題です。



教科書の誤りは放置してはならない、と考えます。



 でありますから、私は東京書籍の教科書の誤りをまとめた資料を作り、中学生に配りました。



 そこで、貴教育委員会にお聞きしたい。



教科書に誤りがあることを中学生や父兄に知らせることは悪い事ですか。

 私が教科書の欠点を父兄に知らせた事がなぜ回答拒否の理由になるのですか。



 教科書の欠点を知らせる事を非難されると云う事は、貴委員会にとって、教科書の欠点が中学生や父兄に知られてはまずい、とお考えなのでしょうか。



万が一そうであるならば、教科書の欠点を隠そうとする事は、今現在、学校で子供達に嘘を教えていると云う事実を父兄に隠そうとするものであり、断じて許されるものではありません。



 貴委員会にお尋ねしたい。



 子供たちに嘘を教える事が教育でありましょうか。







反論4:私の作った資料に誤りがあったか



 また、貴委員会は私の資料について、



『更に、その内容は真摯に教科書採択に取り組んで来た関係者を否定的にとらえたものであり、新しく使用する教科書のみならず、学校教育や教職員に対する不信感が児童生徒や保護者の間に生まれてくるのではないかと危惧しています。』



 と、私の資料について書かれております。





 まず質問します。



東京書籍の欠点を指摘した私の資料に誤りがありましたか。



誤りのある資料を配れば、非難されて当然でありましょう。



しかし、私の資料に誤りがありましたか。



誤りがあれば教えて頂きたい。

また、私は、貴委員会の回答の表紙として、以下の文章を付けて、中学生に配りました。



『父兄の皆様へ



教科書は、非公開会議で採択され、議事録も非公開



 私は、観音寺教育委員会に中学校の教科書がどうやって採択されるか尋ねました。教育委員会の回答では、教科書は非公開の会議で決められ、その議事録も非公開とのことでした。



 これではどうやって教科書が選ばれたか全く分かりません。



 子供たちの使う教科書が、教科書採択会議でどのように選ばれたかは、観音寺市民に公開されるべきだと思います。



公立の中学校教科書の採択過程が一切公開されないという、このような秘密主義、隠蔽体質が、今の日本でまかり通っている事は、まさに異常であり、驚くべき事です。



 なぜ秘密にする必要があるのでしょうか。



 参考の為、教育委員会の回答を添付します。』





この私の文章に誤りはありますか。事実誤認はありますか。他人を誹謗中傷する処はありますか。



全て本当の事ではないですか。







反論5:採択委員会は、本当に「真摯に」教科書を調べられたか



貴委員会のお手紙で



『その内容は真摯に教科書採択に取り組んで来た関係者を否定的にとらえた物であり・・・』



と、「真摯」なる言葉を使われておられますが、「真摯に取り組んで来た」のであるならば、



なぜ採択会議を非公開にし、その「真摯」な姿を観音寺市民に隠されるのか。



なぜ「真摯」に取り組まれた採択会議の議事録を公開して下さらないのか。



 「真摯」でおありならば、候補の教科書の中から、どういう理由で東京書籍を選ばれたのか、その理由を中学生や父兄、そして観音寺市民に、なぜ、説明なされないのか。



 教科書採択に付いて、なぜ、何もかも隠そうとなされるのですか。





また、「関係者を否定的にとらえた」と書かれておられますが、採択された教科書が欠点だらけであるならば、採択された関係者の方々に対して「立派な仕事をされた」と、どうして言えるでしょうか。



 もし本当に「真摯」に教科書採択に取り組んだのであれば、東京書籍の内容を十分に調べられたはずでありましょう。



「真摯」に、他社の教科書と比較・検討された事でありましょう。



であるならば、東京書籍の嘘も偏向も隠蔽もすべてご承知でありましょう。



ならば、採択された方々は、その重大な欠陥をすべてご承知の上で東京書籍を採択された事に成ります。



そうであるならば、採択委員の方々は、問題のある事を十分にご承知の上で、意図的に子供達に欠陥教科書を読まそうとしている、と云う事に成ります。



それは、意図的に、嘘を子供達に教える事ではないですか。



それは、意図的に、子供達に反日、侮日、自虐教育をする事ではないですか。



それは、子供たちに洗脳教育をする事ではないですか。



そうではありませんか。



そうであるとするならば、これはまったく恐るべき事であります。



 子供たちに嘘を教える事が教育でありましょうか。





 採択委員の方々にお尋ねしたい、



採択委員の皆様方は、本当に教科書を読まれたのですか。









反論6:児童生徒や保護者の不信感は当然ではないか



貴委員会は次のように言われる。



『その内容は教科書のみならず、学校教育や教員に対する不信感が児童生徒や保護者の間に生まれてくるのではないかと危惧しています』



しかし、東京書籍のひどい内容を見れば、誰も「不信感」を持って当然でありましょう。



貴委員会の皆様や選択委員の方々は、本当に東京書籍の内容を御存じなのですか。





 以下に、東京書籍の内容が、どれ程ひどいものか、その一部を紹介します。



平成23年、現在、使われている東京書籍中学歴史教科書(平成17年検定)に関して申し上げます。

例:その1 【蒋介石が「た」行にある人物索引】



東京書籍歴史教科書の人物索引において、(p.221)



蒋介石(しょううかいせき)が、「さ」行に無く、「た」行にある。



袁世凱(えんせいがい)が、「あ」行に無く、「や」行にある。



なぜか。



蒋介石が「チャンチェシー」で、袁世凱が「ユワンシーカイ」と中国式に読むからです。





 韓国人の李舜臣(りしゅんしん)と李三平(りさんぺい)は、共に「ら」行に無くて、「あ」行にある。



なぜなら、読み方が、李舜臣が「イスンシン」、李三平が「イチャムピョン」だからです。



日本人で、何人の人がこのように中国式、韓国式で読めるでしょうか。



 これを見れば、誰でも不信感を持って当然でありましょう。







現に先日、中学生の子供を持つ父親にこの人物索引を見せたところ、教科書を持ったまま、「なんで? なんで? なんで?」と10回以上は言いました。



誰もが不信感を持って当然でありましょう。



 これは、ただ私ごとき者が問題にしているだけではありません。



 我が国の国会でも取り上げられました。



平成23610日の参議院予算委員会において、自民党の義家弘介議員が、菅直人総理大臣に対して、まさに、この「チャンチェシー」、「ユアンシーカイ」の名前を書いた紙の板を示しながら、「総理、これは誰の事か分かりますか」と中学歴史教科書の出鱈目ぶりを追及しております。



国会で取り上げられるほどの問題でありますから、中学生の父兄が不信感を持って当然でありましょう。



 (参考の為に、上記の国会質疑は、参議院のインターネットホームページ、平成23610日、予算委員会の動画で見る事が出来ます。)












例:その2 【天皇、日本神話の説明が無い】



 25ページに、仁徳天皇陵の写真が載っていますが、「仁徳天皇陵」の名が無く「大仙古墳」とされています。意図的に仁徳天皇陵の名前を外したものと思われます。



 天皇は我が国の象徴であります。我が国の憲法の第一章から第八章までは、天皇のことに充てられております。しかるに、東京書籍はその教科書の中で、天皇という言葉の意味も、歴史的な説明も、なんらしておりません。



もちろん我が国の神話も出てきません。



天照大御神も神武天皇も明治天皇も出てきません。



 我が国の神話を教えずして、サッカー日本代表のユニフォームの左胸にある「八咫烏」をどう教えるのでしょうか。



 天照大御神を教えずに、伊勢神宮をどう教えるのでしょうか。



 神武天皇を教えずに、211日をどう教えるのでしょうか。



 明治天皇を教えずに、明治維新の大政奉還をどう教えるでしょうか。





 東京書籍は、天皇を意図的に避けている事がこれらの例によって明らかです。



これは、我が国の伝統文化の中心である天皇や皇室を批判的に見る人々の考えに基づく、明らかな偏向と隠蔽であります。









例:その3 【聖徳太子の「日出づる処の天子」が無い】



 また、東京書籍は、聖徳太子が隋の煬帝に送った有名な手紙



「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」



を載せていません。





我が国の古代外交における重要な文書である聖徳太子の手紙を、他社の教科書が載せているにもかかわらず、東京書籍は載せていません。



大人なら誰でも知っている、聖徳太子の大国隋に対する堂々とした対等外交。



これを、東京書籍を使う中学生は教えてもらえないのです。



父兄が不審に思うのは当たり前でしょう。これを喜ぶのは中国だけです。









例:その4 【奈良時代の貴族と庶民の食事の比較は、詐欺だ】



 また、東京書籍は、奈良時代の貴族と庶民の食事を写真で比較しています。



貴族の食事は料理が17品も並んだ豪華な食事ですが、庶民の食事は玄米と野菜汁と塩の3皿だけ。



これは、支配階級の貴族が庶民を搾取する、という左翼史観の構図です。



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             奈良時代の貴族の食事 (p.36)  


                

                一般の人々の食事 (p.37)



 しかし、実は、東京書籍の貴族の食事は、宴会の時の食事なのです。



同じ写真を、帝国書院の教科書(平成17年版)では「貴族の宴会の食事」と説明しています。



東京書籍はその説明を省いています。



 貴族が宴会の食事なら、庶民も秋祭りなどの庶民の宴会の食事を出さないと比較に成りません。



これは、明らかに中学生をだます詐欺です。









例:その5 【鎌倉幕府を勝手に開いた源頼朝】



東京書籍は「鎌倉幕府の始まり」において



『頼朝は、(中略) 鎌倉幕府を開いて武家政治を始めました。さらに平泉を中心に栄えていた藤原氏をも攻め滅ぼしました。(p.52)

1192年、征夷大将軍に任命された頼朝は、政治制度を整えましたが、それは簡素なものでした (p.53)



として、頼朝は、征夷大将軍になる前に鎌倉幕府を開いた事になっています。



しかし、これは間違いです。



 天皇から征夷大将軍に任命されて初めて幕府が開けるのです。



もし自分で勝手に幕府を開いても、正当性が無いから誰も相手にしません。



 正当性を与えられるのは、日本においては、天皇だけです。



これが日本の歴史的な伝統です





 また、東京書籍は、征夷大将軍について



1192年、征夷大将軍に任命された頼朝は、・・・』(p.53



『家康は、全国支配の実権をにぎり、1603年には征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きました』(p.90



として、頼朝や家康が、誰から征夷大将軍に任命されたか書いていません。



 天皇が征夷大将軍の位を与える事を、子供たちに教えようとしません。





 現在の我が国憲法でも、次のように書いています。



『第六条 天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。』



認証官である総理大臣は、国会で選ばれますが、選ばれた時点ではまだ総理大臣ではありません。天皇から認証(任命)されて初めて総理大臣になります。



この日本の国の在り方を子供たちに教えなければなりません。

例:その6 【元寇のときに吹いた神風を書かない】



 「モンゴルの襲来と日本」の所では、



 『281(弘安4)年には、再び攻めて来ましたが、御家人の活躍や、海岸に築かれた石塁などの防備もあって、元の大軍は上陸できないまま、暴風雨にあって大損害を受け、退きました(弘安の役)』



として、歴史的な言葉『神風』の説明をせず、ただ暴風雨と書く。





また、亀山上皇が伊勢神宮に赴き、「我身を以って国難に代えたまえ」と、我が身を神に奉げて敵国降伏の祈願をした事を書かない。





 また、東京書籍は、「御家人の活躍」としか書かないが、我が国の勇敢な武士が、陸上のみならず、海上でも蒙古の船に乗り込み、敵をやっつけ、火を付けて引き上げるという獅子奮迅ぶりの活躍を書かない。









例:その7 【李舜臣と東郷平八郎、どちらが日本人か】



 秀吉の朝鮮征伐の時の朝鮮水軍の英雄、「李舜臣」は、その名前が本文に載り、銅像の写真まで載っていますが(p.87)、一方、日本海軍の英雄、「東郷平八郎」は、写真はおろか、名前さえ載っていません(p.158)



朝鮮人(韓国人)が載って、日本人が載らない。



朝鮮水軍の英雄は教えるが、我が国海軍の英雄は教えない。



これでは韓国の教科書です。



これを不審に思わない日本人がいるでしょうか。今頃、韓国人は手を叩いて喜んでいる事でしょう。

1 件のコメント:

  1. お疲れ様でした。たいへんな労力が必要だっただろうと推測いたします。ともに日本のために左巻の連中と戦っていきましょう。

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