日本はこの戦いに国力のすべてをつぎ込み、日露両軍は朝鮮半島や満洲で激戦を繰り広げました。陸軍は、ロシアが築いた旅順要塞を攻撃するため、乃木希典の率いる軍を送り、多くの犠牲を払った末に占領しました。
シベリア鉄道を使い戦力を増強するロシアに対し、日本側は兵力や弾薬の面で劣勢でした。しかし、わずかながらも優勢に戦いを進めた日本軍は、両軍合わせた50万人を超える奉天の戦いでもロシア軍を退却させることに成功しました。
海上では、東郷平八郎の率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を対馬沖で迎え撃ち、全滅させるという世界の海戦史上に例を見ない戦果を収めました(日本海海戦)』(p.173-174)
育鵬社は、日露戦争の中心となる 旅順攻略戦、乃木希典、奉天会戦、日本海海戦、東郷平八郎、これら5項目をきちんと書いている。
日本文教社 評価 -5点
『1904年、日露戦争が始まりました。この戦争は、日清戦争と比べて非常に大規模な戦争となりました。満州を中心に激しい戦いが行われ、多くの死傷者が出ました。また、日本海でも両国の艦隊が争い、日本軍が勝利しました。』(p.191)
余りにも短く、人物名も戦争名も無い。これではあまりにもひどい。
日本文教社の評価は最低である。
帝国書籍 評価 -2点
『1904年、日露戦争が始まりました。日本軍は旅順・奉天(現在の瀋陽)でロシア軍を破りましたが、戦争が長引くと兵力や物資が乏しくなりました。一方、ロシアでも人々の不満が高まり革命運動がおこったので、ともに戦争継続が難しくなりました。そして、日本海軍がロシアのバルチック艦隊を日本海で破ったことをきっかけに、アメリカが仲介に乗り出し、1905年、アメリカで講和会議が開かれました。』(p.176-177)
乃木も東郷も出てこない。旅順攻略戦とか奉天会戦、日本海海戦という名称も使わない。また、日本海海戦もただ「バルチック艦隊を日本海で破った」と、まったく素っ気ない書き方である。日本の教科書であろうか。評価できない。
教育出版 評価 2点
『結局、ロシアとの交渉はまとまらず。1904年(明治37)年2月、日本軍はロシアの軍事拠点である旅順を攻撃し、中立を宣言していた韓国の仁川に上陸して、日露戦争が始まりました。
戦争は、韓国と満洲が主戦場となりました。大国ロシアとの戦いは苦しいものでしたが、日本軍は南満州に兵を進め、ロシア軍を破って旅順、奉天(現在の瀋陽)を占領しました。また、東郷平八郎の率いる日本艦隊は、日本海海戦でロシア艦隊を全滅させました。』(p.172)
東郷平八郎と日本海海戦の名前を出している所は評価できる。
しかし、「中立を宣言していた韓国の仁川に上陸して」と、日本が中立を破ったように書いているが、この事に関して日韓議定書が成立した事を隠しており、この文章は、日本を悪く見せようとする反日的な作為を感じさせる。
東京書籍 評価 2点
『1904年2月、日露戦争が始まりました。日本軍は苦戦を重ねながらも戦争を有利に進め、イギリスやアメリカも、戦費の調達に協力して日本を支援しました。しかし日本の戦力は限界に達し、ロシア国内でも専制政治に対する不満から革命が起こるなど、両国とも戦争の継続が困難になりました。その結果、日本が1905年3月の奉天会戦や5月の日本海海戦に勝利を収めたのを機に、アメリカの仲介により、9月にポーツマス条約が結ばれました。』(p.164-165)
東郷、乃木の名前が無く、旅順も抜けている。しかし、奉天会戦と日本海海戦という歴史的名称を使っているのが救いである。
清水書院 評価 -2点
『日本の妥協案をロシアが拒むと、1904年、日本はロシアとの戦争に踏み切った(日露戦争)。
朝鮮半島から中国東北部に進んだ日本の軍隊は、初めのうちは有利に戦争を進めました。しかし日本は、弾薬や食料などが乏しく、外国から借金をしてようやく戦い続けられる状態だった。ロシアが要塞を築いていた旅順では、多くの戦死者を出しながら、これを破った。ロシアはヨーロッパからアフリカ大陸の南を経て日本海まで艦隊を派遣し、戦争に決着をつけようとしたが、日本の艦隊によって壊滅させられた。』
清水書院は、歴史的人物や歴史的名称をまったく使っていない。人物名や歴史的事件名・事象名を使わずに歴史が語れるのか。評価できない。
総じて言えば、日本文教社、帝国書院、教育出版、東京書籍、清水書院は、日露戦争の説明が余りにも短く、お粗末である。我が誇るべき日露戦争の勝利を軽視しているとしか思えない。反日・自虐と呼ばれる所以か。
また、学習指導要領が「歴史上の人物」、「歴史的事象」を言っているにもかかわらず、歴史的人物や歴史的用語を使わない態度は、そもそも歴史教科書としておかしい。
また、本文に東郷平八郎を載せている教育出版を除けば、日本文教社、帝国書院、東京書籍、清水書院は、軍人の名前を一切本文に出していない。これらの教科書会社は、軍人を正当に評価せず、左翼的反戦主義に偏向していると言わざるを得ない。
特に日本文教社はひどい。日露戦争の説明が、下記の如くたった2行である。
『満州を中心に激しい戦いが行われ、多くの死傷者が出ました。また、日本海でも両国の艦隊が争い、日本軍が勝利しました』
たったこれだけで日露戦争を済まそうとする日本文教出版は、はたして日本の教科書でありましょうか。まったく理解できない。
7:【日本海海戦の結果の説明】
各教科書は日本海海戦の日本の勝利をどのように書いているか。
自由社 評価 5点
『バルチック艦隊を全滅させ、世界の海戦史に残る驚異的な勝利』
育鵬社 評価 5点
『バルチック艦隊を全滅させるという世界の海戦史上に例を見ない戦果』
日本文教社 評価 -3点
『両国の艦隊が争い、日本軍が勝利』
帝国書籍 評価 -3点
『バルチック艦隊を日本海で破った』
教育出版 評価 3点
『ロシア艦隊を全滅』
東京書籍 評価 -3点
『日本海海戦に勝利』
清水書院 評価 3点
『日本の艦隊によって壊滅』
自由社、育鵬社、教育出版、清水書院の4社がバルチック艦隊を「全滅」・「壊滅」させたと書いているのに対し、日本文教出版、帝国書院、東京書籍は「勝利」・「破った」と言うだけで、日本海海戦での日本海軍の偉業を隠そうとしている。反日的であると言わざるを得ない。
自由社、育鵬社は、『世界の海戦史に残る驚異的な勝利』、『世界の海戦史上に例を見ない戦果』として、世界史の中で日本海海戦がどれほどすごい海戦であったかを中学生に教えようとしており、学習指導要領の「我が国の歴史の大きな流れを世界の歴史を背景に理解させる」趣旨に合致している。
しかし、他社には、世界海戦史上に輝く日本海軍の偉業を指摘しない。
日本海海戦の参考資料
3日間にわたる海戦の結果、バルチック艦隊のうち、ウラジオストックになんとか逃げ込めた駆逐艦以上の艦艇はただ2隻のみ。これに対し日本側の損害は駆逐艦1大破、水雷艇数隻沈没で、主力艦は中破すらほとんど無いという、ほぼ無傷といっていい軽損であった。佐世保に戻ろうとする日本艦隊を、対馬の捕虜収容施設で見たロシアの上級将校は、まるで海上演習を終えて帰ってゆくかのような日本艦隊の姿に呆然とし、「我々は霧の中で影に向かって大砲を打っていたのではないか?」「あの数千発の弾はどこに行ったのだ?」と衝撃を隠さなかったという。
最新鋭戦艦4隻を擁し、世界最大・最強レベルと思われていた巨大艦隊が日本海海戦で忽然と消滅した事実は、日本の同盟国イギリスや仲介国アメリカすら驚愕させ、タイムズ紙など有力紙が確認のため発表を遅滞させるほど世界中を呆然とさせた。また、この大敗が反ロシア帝政の植民地や革命団を大いに活気づけ、やがてロマノフ王朝倒壊につながった。(ウィキペディアより)
戦 力
日 本 ロシア
総トン数 約26万トン 総トン数 約45万トン
損 害
6隻 被捕獲
6隻 中立国に逃亡後、武装解除
2隻 ウラジオストック港に入港
2隻 ウラジオストック港に入港
3隻 ロシアへ帰港
戦死117名 戦死4,830名
戦傷583名
戦死117名 戦死4,830名
戦傷583名
捕虜6,106名
(ウィキペディア他より)
8:【日露戦争での登場人物の数】
登場人物の数は適切か。
| 自 由 社 | 育 鵬 社 | 日 本 文 教 出 版 | 帝 国 書 院 | 教 育 出 版 | 東 京 書 籍 | 清 水 書 院 |
東郷平八郎 | ○ | ○ | × | △ | ○ | △ | △ |
乃木希典 | ○ | ○ | × | × | × | × | × |
秋山真之 | ○ | ○ | × | × | × | × | × |
小村寿太郎 | ○ | ○ | × | × | × | × | × |
久松五勇士 | ○ | × | × | × | × | × | × |
金子堅太郎 | × | ○ | × | × | × | × | × |
高橋是清 | × | ○ | × | × | × | × | × |
明石元二郎 | × | ○ | × | × | × | × | × |
与謝野晶子 | × | × | ○ | △ | △ | △ | △ |
内村鑑三 | × | × | ○ | △ | ○ | ○ | × |
幸徳秋水 | × | × | ○ | × | ○ | ○ | × |
東京帝国大学7博士 | × | × | × | △ | △ | × | × |
セオドア・ルーズベルト | ○ | ○ | × | × | × | × | × |
ウィッテ | △ | △ | × | × | × | × | × |
ステッセル中将 | ○ | × | × | × | × | × | × |
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世 | △ | × | × | × | × | × | × |
ロジェストェンスキー中将 | ○ | × | × | × | × | × | × |
ネルー | × | × | × | × | × | × | △ |
評価 | 5点 | 5点× | -5点 | 2点 | -1点 | -2点 | -1点 |
○:本文 △:欄外 ×:記載なし
学習指導要領、歴史的分野の「目標」では
「国家・社会及び文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を,その時代や地域との関連において理解させ,尊重する態度を育てる」
としているが、その「歴史的人物」が何人取り上げられているか。
各社の日露戦争での歴史上の人物の数と評価
自由社 登場人物 合計10人 評価 5点
東郷平八郎(本文)、乃木希典(本文)、秋山真之(本文)、小村寿太郎(本文)、久松五勇士(本文)、セオドア・ルーズベルト(本文)、ウィッテ(欄外)、ステッセル中将(本文)、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世(欄外)、ロジェストヴェンスキー中将(本文)
自由社は、多くの歴史的人物を登場させており、評価できる。
育鵬社 登場人物 合計9人 評価 5点
東郷平八郎(本文)、乃木希典(本文)、秋山真之(欄外)、小村寿太郎(欄外)、金子堅太郎(本文)、高橋是清(本文)、明石元二郎(本文)、セオドア・ルーズベルト(本文)、ウィッテ(欄外)
育鵬社も、多くの歴史的人物を登場させており、評価できる。
日本文教出版 登場人物 合計3人 評価 -5点
幸徳秋水(本文)、内村鑑三(本文)、与謝野晶子(本文)
日本文教出版は、日露戦争で出てくる人物がたった3人で少な過ぎる。
そのうえ、幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子の3人の反戦主義者ばかりで、極端な偏向である。
日露戦争当時、日本には、彼ら以外に重要な人物はいなかったのか。
左翼偏向教科書の典型であり、評価できない。7社の中で最悪である。
特筆すべきは、7社のうち唯一東郷元帥の名前を出していないのが、この日本文教出版である。
帝国書院 登場人物、4人 評価 2点
内村鑑三(欄外)、与謝野晶子(欄外)、東郷平八郎(欄外)、東京帝国大学7博士(欄外)
帝国書院は、反戦論の内村鑑三、与謝野晶子を載せているが、一方、東郷平八郎と開戦論の東京抵抗大学7博士も出している。
また幸徳秋水を載せていない点は、評価出来る。(幸徳秋水については後述)
教育出版 登場人物、5人 評価 -1点
幸徳秋水(本文)、内村鑑三(本文)、与謝野晶子(欄外)、東郷平八郎(本文)、東京帝国大学7博士(欄外)
教育出版は、幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子の反戦三点セットで評価できないが、東郷平八郎を本文に載せており、東京帝国大学7博士を欄外で紹介している点、少しだけ評価できる。
幸徳秋水を出しているのはマイナス評価である。
帝国書院と教育出版は、東京帝国大学七博士の開戦論、内村鑑三の非戦論、そして与謝野晶子の反戦詩の立場の違う三者を取り上げて比較している所は、中学生に考えさせる材料を提供しているという点で評価できる。(普通の反戦論の与謝野と、宗教を理由とする内村の非戦論を区別している所が良い)
東京書籍 登場人物、4人 評価 -2点
幸徳秋水(本文)、内村鑑三(本文)、与謝野晶子(欄外)、東郷平八郎(欄外)
東京書籍は、幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子の反戦三点セットで評価できない。特に幸徳秋水は評価できない。
また、東郷平八郎も欄外の小さな記述で不十分である。それに開戦論の東京帝国大学7博士も出ていない。
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